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 入江 紗代 (いりえ さよ)

 

 「私の自己表現」を軸に、場面緘黙経験者として講座などのイベント企画、情報やテキストの発信、緘黙の当事者研究などの活動をしている。

 

 「かんもくの声」という、facebookページにて発信中。

 

 今年は成人当事者にフォーカスした「大人のかんもくフォーラム」をテーマに、成人当事者の声を届ける、あるいは成人当事者の声に耳を傾けたいと思えるようなプログラムを考えております。

 

 成人の緘黙当事者の研究、支援、居場所づくり等は、未だ進んでおらず、当事者自身の苦しみもあまり知られていない現状です。

 

 今まで埋もれてしまっていた声を発信することで、様々な立場の方にとって良き時間となりますよう準備中です。

 

どうぞよろしくお願いいたします。





 高木 潤野 (たかぎ じゅんや)

信州かんもく相談室代表

長野大学社会福祉学部准教授

 

学校教育の分野を主なフィールドとして、場面緘黙を対象とした個別の相談や学校コンサルテーション、研修会等を行う。

 

『学校における場面緘黙への対応』(2017学苑社)著者。

 

臨床発達心理士

専門は言語・コミュニケーション障害

 

日本緘黙研究会事務局長

 

 

私が「大人のかんもくフォーラム」を楽しみにしている理由

 

 

 今回の「大人のかんもくフォーラム」*1を最も楽しみにしているのは、他でもない私自身でしょう。何しろ昨年度のかんもくフォーラム2016のときから、来年は「大人のかんもくフォーラムにします」と宣言してきたのですから。

 

 

 正直に告白してしまいますが、「大人の場面緘黙」というのがどういうものか、私にはよく分かっていません。もちろん、私は場面緘黙を研究しているし、これまでにもたくさんの場面緘黙当事者の方に会ってきたので、まったく何も知らないというわけではありません。ですが、あまりにもその状態像が多様すぎるので、何を場面緘黙と呼ぶべきなのかが分からなくなってしまうのです。

 

 

 対象を狭く定義しておけば、「職場など特定の社会的状況で話すことができない」とすることはできます。実際、職場で一言も話すことができないという場面緘黙当事者も珍しくはありません。しかしこうしてしまうと、「職場である程度話すことができている」人は、場面緘黙ではないことになってしまいます。小さい頃から学校でほとんど話すことができず、大人になってからはそれでも多少は人と話せるようになってきた、でも自分自身は場面緘黙だと思っている、という人を、「いや、あなたは話せるから場面緘黙ではありません」と言ってしまうことができるでしょうか。学問上はそれでよいのかも知れませんが、それは学問のための学問であって、目の前の問題の解決には役に立たないように思います。

 

 

 では、対象を広く捉え、「職場など特定の社会的状況で話すことに苦手さがある/思うように話すことができない」のように定義するのはどうでしょうか。そうすると今度は、ちょっと場面緘黙とは呼べないくらい話せる人でも、場面緘黙に含まれてしまうことになります。職場での必要なやりとりはできて、話しかけられれば返事もできるけど、休み時間の雑談などではほとんど話すことができず、飲み会に誘われるのが苦痛、という人も、自分を場面緘黙と呼ぶことがあります。こうなると、「人見知り」や「コミュ障」と呼ばれるものとの境目はかなり曖昧になってくるでしょう*2。

 

 

 ASD(自閉症スペクトラム障害)がそうであったように、「場面緘黙」という用語が広まるにしたがって、「私も場面緘黙だ」という自称当事者は増えると思います。その中には、場面緘黙ではない人も含まれているかも知れません。しかしこれは悪いことだとは思いません。日本における場面緘黙の研究まだまだこれからです。成人の当事者については、まだ共通の場面緘黙像をつくることすらできていないと思うのです。だから、まずは様々な形で意見を発信してもらって、色んな人に集まってもらって、「場面緘黙とはいったい何なのか」というところから議論をしていけばよいのです。そして、まさにその機会に立ち会えるわけですから、私は今回の「大人のかんもくフォーラム」が楽しみなのです。

 

 

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*1「大人のかんもくフォーラム」といっても、「子どもの場面緘黙」を無視しているわけではありません。むしろ、このテーマを議論することによって、子どもの場面緘黙をよりよく理解するための重要な手がかりが得られると思っています。

 

*2 実際、成人の場面緘黙なのかそうでないのか、線を引くことはほとんどできないと思っています。そういう意味では、「場面緘黙スペクトラム」と呼ぶ方が適切なのかも知れません。